ナルコレプシーです、お見知りおきを

世界で日本人が一番多い過眠症、ナルコレプシーに関係あること、ないこと。

夢かうつつか。人生は胡蝶の夢のようである

日常は胡蝶の夢のよう

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活動中に眠ってしまい、現実と夢の境がわからなくなることがよくあります。眠ったことに気づかずに現実の延長のような夢を見ることや、就寝時に見ていた夢が現実だったかもしれないと思えることなどです。

 

ナルコレプシーの「自動症」身体のオート運転の話

ナルコレプシーの「現実感の強い夢」とは

起きても起きても、夢が続く。 無限ループな夢の話 

 

 

最早それらが日常で私にとって、日常はまるで胡蝶の夢のようだと感じたのです。

 

胡蝶の夢

【読み】 こちょうのゆめ
【意味】 胡蝶の夢とは、現実と夢の世界の区別がつかないことのたとえ。また、人生のはかないことのたとえ。

 引用:胡蝶の夢 - 故事ことわざ辞典

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うらうらとした春の日のことだった。
 荘子はうつらうつらと夢を見ていた。ふと気がつくと、自分がふらふらと胡蝶になっている。胡蝶となって空を翔び、花から花を上から眺めて遊んでいる。荘子は夢に胡蝶となったのである。けれども、夢のなかでは胡蝶そのものが荘子となってひらひらと飛んでいる。そのうち、その夢の中の胡蝶の目がさめて、荘子はふたたび荘子に戻っている。
 荘子がすぐに目をさましたのではない。胡蝶がまず目をさまし、そうしたら、荘子の目がさめていた。
 はたして荘子が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘子の夢を見たのであった、のか。どちらともいえないし、そのどちらともいえるようで――。

 引用:726夜『荘子』荘子|松岡正剛の千夜千冊

 

ナルコレプシーを発症している私は世間一般の平均よりは多く夢を見ます。1日に何度も見ます。けれどもそれは私の中では「日常」であって、いっそ夢を見ないことの方が不自然なことなのです。

これまでに色々な夢を見てきました。えぐい夢やグロい夢や、SFな夢などなどなど。たいては負の方向に向いた内容のものです。ひどく日常的で、現実のような夢もよく見ます

しかし私がヒト以外のものになることはありませんでした。1日平均3~4種類の夢を観る生活をしている身としては、確率的にはヒト以外になることもありえそうですけどね。それほど他の存在になることはとてつもないことなのかもしれません。


結局は夢うつつの行ったり来たりなのである

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次の話は荘子の先輩格の列子が教えた話だとおもうのだが、ある宰相に仕えている下僕は一刻も休むまもなく働いている男で、夜にはぐったりしている。ところが、なぜか毎晩夢を見る。その夢ではたいてい自分が宰相になって、その宰相を下僕に使っている。これでは下僕の白昼の労働の苛酷が本物だか、夜陰の夢の日々の快楽が本物だか、わからない。
 荘子はそれでいいではないかという。考えてみれば、われわれはいつだって夢うつつのようなもの、誰かに会いたい、夜はおいしいものを食べたい、いつかお金を儲けたい。そう思っているときは、まさに夢うつつにいるだけなのだ。それが思想といったって芸術といったって、結局は夢うつつの行ったり来たりなのである。思想も芸術も経済も、最初からあったわけがない。どこかで誰かが夢うつつになったのだ

 引用:上記同リンク

起きている間も夢うつつのようであってもかまわないと。なぜなら、我々(ヒト)はいつだって夢うつつのようなのものだからと。

私は夢うつつに生きている日々について幾度となく考えてきました。起きてから状況証拠を探して現実と夢の違いを確認する日々について。何度考えても答えが出なかっことについて、めぐり合えました。

私が毎日見ている悪夢も、現実も、はかない存在ですって。誰かが「夢うつつ」になったがゆえにこの世の事象が生み出されたのであって、私が日々夢うつつになることもまた、否定することはないのです。それが私の人生であり、それがヒトなのです

過眠症によってもららされる私の夢うつつは少し種類が違うかもしれませんが、夢うつつには違いありませんからね。

この先、夢うつつに生活の不自由さで気を張ることはあっても、精神としては気にしないことに決めました。なぜならヒトはいつだって夢うつつのようなものなのですから

 

学生時代に学んである程度は知っていても、改めて見ると感じることが違います。中国、戦国時代に かのような思想家がいたことに敬意の念を抱きます。


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