ナルコレプシーです、お見知りおきを

世界で日本人が一番多い過眠症、ナルコレプシーに関係あること、ないこと。

当ブログのスクリーンショットをインターネット上に載せるのはご遠慮願います。
インターネットとは個人ブログやTwitterをはじめとするSNSのことも含みます。

窓から見る風景は貴重だ

窓から見る風景は貴重だ

f:id:ri_tc:20170410190551j:plain

ナルコレプシーを発症している私。起きていたいと願っても、眠気が形成され始めると どうしようもなくなる。そしていずれは、まるで重力のように落ちていく。まぶたと共に意識が。

 

苦肉の策として、いくつかの眠気醒まし(気休め程度)を実行して生きている。

 

そのうちの一つ、「移動中はなるべく目を閉じる」

特に電車やバスの間は必須だ。公共交通機関は素晴らしい。目を閉じていても、身体は移動を続けるから。自家用車や自転車にはない利点だ。

 

他にもエスカレーターのようなわずかな時間も無駄にはしない。スマホの画面を見ているくらいならば、ただひたすらに目を閉じる。(往路の場合)後で眠くなってしまうことが怖いからだ。

 

スポンサーリンク

 

 

自分の活動圏内の景色を知らない

ある日気づいた。自分の活動圏内の景色を知らないということに。

なぜならば、(往路の)移動中はたいてい目を閉じているから。仮眠するまでには至らなくても、目を閉じていることによって、眠気が軽減するから。起きていられる時間が伸びるから。

 

いつも目を閉じている電車の区間をふいに目を開けてみた。本当にただなんとなく。すると見慣れぬ光景が飛び込んできた。よく使う路線であるのに。幾度となく通った土地であるのに。私は景色を何も知らなかった。

 

移動中の景色を知らないからといって、何かに困る訳ではない。けれど、自分がよく使う路線の景色を知らないままでいることが、私は寂しく感じた。

 

 

 

スマホを見ていると酔う

電車の中でスマホを見ていると、酔うという、現代人としては致命的な体質になった。

 

最初はガラケー時代、快速線に乗っていると酔った。近頃では普通列車であっても、スマホを見ていると10分未満で酔う。なので、操作するにしても、せいぜい電車の乗り換え確認や、目的地の地図確認くらいでしか使用しなくなった。

 

このことも一因となり、電車の時間は瞑想と仮眠の時間である。普段、意識して、ぼんやりとする時間は設けないが。電車の中では そうしている。結果的にそうなったと言うべきかもしれないが、ヒトにとって、ぼんやりするのも大切な時間だ。また、復路の時は読書をすることもある。

 

音楽は聞かない。イヤフォンで音を聞いていると頭痛がしてくるから。

 

数年前までは、隙間時間があれば、いつでも携帯画面を見つめていたかったし、電車の中では常に音楽を聴いていなければ、ひどいストレスに苛まれた。思えば自分の時間、空間というものを造ろうとしたのかもしれない。時が経つと人は変わるものだと実感した。

 

 

ありのままの

今は、その時間のあるがままを感じるようになった。電車が動く音。ドアが開く音。それだけで十分である、私は今を生きていて、今、どこにいるのかがよくわかる。

 

夢の中に落ちると、自分がどこにいるのかがわからなくなる、起きた直後もまた然り。だからなのかもしれない。可能な限り、自分が物理的に存在している場所は認識し続けていたくなった。

 

「ここはどこだろう」と考える時間が、少なからず、私にストレスを与えていると気づいたのだ。現実から、空間から切り離されたような気分になるのは、私の日常だった。

 

スポンサーリンク

 


関連記事