ナルコレプシーです、お見知りおきを

世界で日本人が一番多い過眠症、ナルコレプシーに関係あること、ないこと。

自分の立場を越えたことは認識できていない

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個人が複数の立場の考えを得ることは難しいことです。それは男性・女性のような生物学的な理由だけでなく、個人が何年もかけて培ってきた考えは変わり難いですし、修正し難いことです。 それこそ積極的に新たな思想について考える姿勢がない限りは。

人は 偏った 意見になりがちです。一方のことしか考えられないのでしたら、それが了見が狭く凝り固まったものにしてしまうので、他方の意見を聞くことは大切です。もし「自分はどこにも偏っていない」と思っているとしたら、至極残念なことです。そんなことは起こり得ないのですから。 

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目次

 


特権を知るきっかけ

「立場」という意味で代表的なのは「性差」中には二つの枠組に当てはまらない方もいますが、非常に多くの人はどちらか一方側にのみ属しています。そしてそれが変わるということも生涯を通して(一部の方以外は) ありません。ゆえに他方の価値観を自然に理解することはできないのです。

内容抜粋

マイケル・キンメル: なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて | TED Talk | TED.com

 

・1:女性は、女性であるがゆえに同じ苦難を負っていると思っている人もいるが、実際にはそれだけではない。 その例として、某黒人の女性は、女性への抑圧だけでなく、人種差別も感じている。

しかし、某白人の男性(トーク者) は人種差別も、階級も、性別による苦難もまるで感じていない。それが身近にあることにも気づいていなかった。彼女たちの意見を知ることにより、彼ははじめて自分が「中流の白人男性」であることを自覚した

「特権」は持っている人間にはわからない、持 っ て い な い 人間に指摘されることにより、初めて「特権」と呼ばれるものになる

・2:別のとある白人男性は 自分ではなく、黒人女性が採用されたとき「黒人女性が私の仕事を盗った」と言った。なぜその仕事が自分のものだと思ったのか、「黒人女性がその仕事に就いた」ではダメなのか。

それは彼が自分の、「白人の男性」という立場を無意識に「特権」と感じていたから

・3:無意識な特権を感じている人たちは、今まで「特権」として扱われていた事柄を平等にしようと働いた途端に「我々への逆差別だ」と言い出す

それは坂になっていた土地を平坦にして「水が丘を逆流している」と言い出すようなもの。実際にはただ平坦になっただけなのに。

動画内容については以上

日本でも、男性は無意識に「男性」という「特権」を掲げ、女性は無意識に「女性」という「不平等」を掲げているのです。ジェンダー論に興味を持つ人の多数派が「女性」であることがその証拠です。これについては海外諸国でも女性の方が多数派です。


立場が変わって気づくこと

東京喰種トーキョーグールより

喰種グール→人間を喰らい、ヒトの肉からしか栄養を摂ることができない種族

人間だった主人公が事故に遭いグールの臓器を移植されたことによって、段々と身体がグールのようになっていってしまう。人間の食べ物は受け付けられず、ヒトの肉を求めてしまうことに苦悩する。

変わってしまった自分の身体、それを否定したがる感情。

苦しみの中で出会ったグールの少女に向かって言ったセリフと返答

「あの日からすべてが最悪なんです」

「だったら私は…生まれたときから最悪ってワケ…?」

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東京喰種1巻より

現状が突如変わることは恐怖です。一方しか知らなかった人が変わってしまったたことによって、「最悪だ」と感じるのは、前に属していた世界がその人にとっての基準だったから。それが「特権」だったから。

話が逸れますが、グールアニメ(一期) OP『unravel / TK from 凛として時雨』はいい曲です。大好きです。

 


病名がつかないとは一種の「特権」である

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※今回述べることに対して「原因不明で病名がつかない」というケースは除く

「健康とは失って初めて大切さに気づく」とはよく聞きます。いつもそこにあって当たり前だと感じているもの程、どれだけ大切だったのかは気づき難いものです。

私はもう、一日中起きていられたときのことは おぼろげな記憶でしかありません。それでも当時は(睡眠的な意味で) 幸せだったと思うのです。睡眠が大切だってことはまだ小学生だったあの頃は、考えもしなかったことで、失って初めて知りました。正確には自分は(睡眠に関して) 一般的なソレとは違うと気づいてから。

この身体になってからすべてが最悪なんです

各種病名がついた人ならば、一度は言いたくなりそうなことです。

それを聞いた先天性の何かの方は言うのでしょうか。

だったら私は生まれたときから最悪ってわけ?」と。

健康(だと感じていられる) のは特権なのです。


思考はあるべき姿へとコントロールされているのではないか

もしかしたら幼少時より、一方の意見しか聞き入れなくなるように教育されているのかもしれないと思った出来事。

小学生の詩の某問題にて 「この詩から感じるのはどんな印象か」

ア.暗くしんみりとした感じ

イ.明るくほのぼのした感じ

問題集としての正解は「イ」しかし、人によっては感じることが違うこともあるでしょう。

同じ詩を読んで(答えを知らない状態で) 「落ち込んでいて、何もかもが嫌になって、外を見つめたときに書いた詩ではないか」と言った人がいました。確かに詩のような短い文章から感じることは、長い文章よりもさらに千差万別になることは必須です。それでも問題として明確に答えが決められて、それに取り組んでいる子どもたちがいると思うと、私は心底ゾッとしました。

そうして考えを「あるべき姿」へと矯正されていき、定められたものと他方の感想を持った人、自分と他方の側にいる人たちのことを否定して生きるようになるのでしょうか。他方の意見が入る余地がなくなっていくのでしょうか。

これはただの一例で、数々の似たようなことが積み重なっていくのかもしれない。

※決して「国語」というものは否定していませんが、この手の問題のあり方には疑問を持ったという話です。


自分と立場の違う存在を受け入れられるか否か

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教育や、経験、立場により個人の常識が形成されます。人生には今までの自分の常識を覆す事象にあったとき、「そんなまさか」と思うこともあるでしょう。

「そんなまさか」と思ったとして、その事象を受け入れるか否かはその人次第ですが、今まで培ってきたことを覆すのはある意味で勇気がいることかもしれないですね。

私の身近な例

過眠症なんて聞いたことがなければ、最初は多少なりとも驚くでしょう。何を隠そう本人が一番驚いているのですから。

私が持っているナルコレプシー(過眠症) のことを伝えて得られる反応は二択です。わかりやすく簡単な言葉にしますと

1.肯定「そうだったんだ、大変だね」

2.否定「眠いのを病気のせいにしているんじゃない」

1番の肯定側に反応を示してくれる人

・過去に「過眠症」という存在を聞いたことがあり、かつその存在を認識している人。つまり眠くて生活に支障をきたす人が存在していることを受け入れている

他人の話を 聞 く 気 が あ る。新しいことを(大なり小なり) 受け入れる気がある人

片方、もしくはその両方。

肯定側の皆さまには救われます。ありがとうございます。

2番の否定的な反応を示す人

他人の話を 聞 く 気 が な い

自分がこれまで築いてきた世界が絶対で、自分の世界が全てだと(意識・無意識問わず) 思っている人

片方、もしくはその両方。

人の話を(なんでも) 否定する側に属する人は、自分の知らないことを受け入れてしまうと、今までの自分を否定された気分にでもなるんですかねそれとも新しいことを受け入れることが面倒なのでしょうか。

今回は私が当事者のため、たまたま過眠についてを例に挙げましたが、この手の方たちは、他にも知らなかった多くのことも拒絶しているのでしょう

その理由は、自分の立場を「特権」と感じているのかもしれないし、教育によって「一方の思考が絶対」と刷り込まれているからかもしれないです。

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まとめ

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人間の思考や意見は必ずどこかに偏っている

「特権」は持っている人は気づかない。持っていない人に指摘されることによって初めて特権が実体化する。 ⇒偏った立場・意見であることには自発的に気づくことは難しい。

・立場が変わって最悪に映るほどに、個人は自分の世界しか見えていない。他方側のことは考えもしていない。 ⇒ 一個人の知っている世界は偏っている

病名がつかないとは、一種の特権である。⇒ 健康とは失って初めて気づくもの

教育の仕方によっては「定められた意見が全て」と思い込む一因になるのではないか。⇒ 新しいことを取り入れたがらなくなるのではないか

・ある事象について説明を受けた上で尚、否定的な意見を返す人は、そうしないと今までの自分を守れないんだと思う。⇒ 他の事象についても新しいことを拒絶したがるのだろう。


おわりに

私がナルコレプシー持ちの女性という立場から、例の出し方が偏っていることは存じています。ただ私の挙げた例は、本当にただの「例」であって、世の中の どの事象にも当てはまることだと思うのです。

この記事を読んで、自分の特権や他人の立場について、改めて考えるきっかけになっていただけるとありがたいです。今までこのようなテーマについてよく考えてきた人も、そうでない人も。

社会とは多数の人によって構成されているのですから、他人を知ることは無意味ではないのです。

ここまで読んでくださってありがとうごいました。


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